哀しみとユーモア 浜田知明の世界展

2010年8月16日号

白鳥正夫


絶景の立地、 
神奈川県立
近代美術館葉山館全景
(館提供)

92歳の現在も、創作活動を続ける孤高の作家がいます。浜田知明は、戦争体験を版画や彫刻作品に仕上げてきました。戦争と平和を考える8月をはさんで「版画と彫刻による哀しみとユーモア 浜田知明の世界展」が神奈川県立美術館葉山で9月5日まで開催中です。私が朝日新聞社時代に企画した「ヒロシマ 21世紀のメッセージ」展や、お手伝いをした「浜田知明の全容」展などで、作家を知り、その作品の奥深さに感銘を受けてきました。葉山の展覧会では版画173点、彫刻73点に油彩画やデッサン・スケッチ、資料など総数約330点もの出品です。その展覧会の帰路、立ち寄った横浜のそごう美術館では「鴨居玲 終わらない旅」も鑑賞しました。こちらは油彩・素描合わせ約80点の出品でした。二つの展覧会は、ともに自己の内面と向き合った作品で、心に深く響いてくるものがありました。

現代に通じる核時代への警告


浜田知明の近影、
熊本のアトリエにて
(2010年4月、
撮影:藤本彦)

葉山の美術館は初めての訪問でした。何年か前、静岡県立美術館から転任されている李美那学芸員と関西の美術館でお会いした際「いい館です。一度来てください」と声をかけていただいていました。年初に「浜田知明の全容」展でお世話になったヒロ画廊の藤井公博さんから「夏に葉山で大がかりな浜田展が開かれますよ」とお聞きしていて、やっと7月末に伺う事が出来ました。

関西から羽田へ。そこから京急電鉄の逗子行き急行、そしてバスを乗り継いで午前中には着けました。御用邸のある土地の一色海岸沿い立地していました。神奈川県立近代美術館といえば1951年に誕生した最初の公立美術館で知られています。鎌倉にあり「鎌近」と呼び、三度ほど訪ねたことがありました。その美術館活動の延長線上に葉山館が位置づけられ2003年10月にオープンしたのでした。

この日は、李さんと今回の展覧会の担当である橋秀文学芸員は留守でしたが、平井鉄寛学芸員に応対していただきました。鎌倉と別館、そして葉山の3館で年間14本もの企画展を開催していて、学芸の主体は葉山とのことでした。なんと全館5つの展示室を使い約1300平方メートルに展示されていました。1時間半かけて、じっくり観賞することが出来ました。


彫刻の「ボタンを押す人」
(1990 
神奈川県立近代美術館寄託)
の背後に「ボタンB」
(以下9枚、浜田知明作品)

まず会場を通観しますと、私が過去に関わった展覧会の作品が散見され、懐かしい思いがしました。とりわけ「ヒロシマ 21世紀のメッセージ」展で借用した「ボタンB」(1988)は印象的です。35.5×51.0センチの小さな銅版画ですが、作品の意味は重いものでした。2年後には彫刻で「ボタンを押す人」を発表していますが、二つの作品が巧みに配置されています。他の版画と彫刻の関連作品も両者を比較しながら鑑賞できます。

作品の構図は、ひときわ大きい硬い表情の男が、前の男の後頭部に付けてあるボタンを押そうとしています。へらへらとした真ん中の男の指は、その前の男の背中のボタンを押そうとしています。最後にボタンを押す男は、頭部がすっぽりと布で覆われています。そしてボタンを押す決定を下す大男の頭上にはきのこ雲が描かれています。それは意思のある行為を暗示しているかのようです。


「初年兵哀歌(歩哨)」
(1954 
神奈川県立近代美術館)
以下


「アレレ…」
(1974 
神奈川県立近代美術館)

米ソの冷戦構造は終焉したとはいえ、核をめぐる緊張は北朝鮮をはじめとして、現在もなお黒い影を投げかけているのです。銅版画の「ボタン」は、核による戦争の構造と恐怖を、冷静にとらえており、彫刻の「ボタンを押す人」は、ユーモラスな造形ながら社会を風刺しています。


「壁にぶちあたった男と
それを哂う男」
(2005年 
撮影:藤本健八)

1996年には「浜田知明の全容」展に関わり、数多くの作品を目にすることができました。この展覧会は朝日新聞東京企画部が企画し、私は伊丹会場の担当デスクとして参画したのでした。会場に来られた作家と親しく懇談でき、作品について直接解説していただける機会に恵まれたのです。文字通り全容展にふさわしく200点を越す版画と彫刻が出展されました。

代表作「初年兵哀歌(歩哨)」の構図は、暗い塹壕の中、ひとりの歩哨が銃を喉もとにつきつけ、足の指で引き金を引こうとしています。骸骨のような頭をもった歩哨の眼から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちようとしています。作家は「不安や危機感といった目に見えないものを表現したかった」と強調していました。

今回のチラシに使われている作品「アレレ…」や「壁にぶちあたった男とそれを哂う男」などには人間存在の哀しみとユーモアが表現されていて、見れば見るほど味わいを感じます。

戦争体験を出発点に普遍性の作品

展示の最後の章に「初期油彩と最近のデッサン」があり、「自画像」や「寺院」(1949)などの油彩と、「夜行軍、雨」と「夜行軍、山を行く砲兵隊」の二点は2008年の作品です。浜田は東京美術学校で油画を専攻しましたが、1939年に卒業後、応召されました。翌年中国大陸へ派遣され、その時の体験が、人間の愚かさや弱さ、社会の不条理を直視する画家としての出発点となったのでした。


「取引」
(1979 
神奈川県立近代美術館)


「飛翔(ピンク)」
(1958 
神奈川県立近代美術館)



戦後、モノクロームの銅版画を自らの表現手段に選びました。版画は版を持つことによる再現性と、版を介することによる間接性が大きな特徴です。より多くの人に自身の絵に触れてもらいたい、という思いがあったのかもしれません。同時に、版画という表現の枠を超え、彫刻の世界にも表現を広げていきます。


「自画像」
(1939年 
東京藝術大学大学美術館)

1950年代に「初年兵 哀歌」シリーズなど銅版画制作で注目を浴び、53年にサンパウロ・ビエンナーレへ出品します。64年から65年は滞欧し、フィレンツェ美術アカデミー版画部名誉会員、89年にはフランス政府からシュバリエ章を受賞しております。

この間、1979年、ウイーンのアルベルティーナ美術館で個展、93年には大英博物館日本館でも個展を開催。2007年にはイタリアのウフィツェ美術館で版画19点が永久保存されることになり記念展が開催されています。日本を代表する版画家でありながら国内以上に国際的に高い評価を得ます。

葉山の展示は実に画期的でした。すでにかなりの作品を所蔵しているのに加え、2008年度に128点の寄贈があり彫刻作品も新たに多数の寄託があったと言います。さらに全版画を所蔵している熊本県立美術館、作家所蔵作品で構成されていました。未発表の11点も展示され、熊本県立美術館で2001年に開かれた「浜田知明展−版画と彫刻による人間の探求」以来の大規模展です。


「夜行軍、
山を行く砲兵隊」
(2008 
撮影:藤本健八)

私は「浜田知明の全容」展以来、風刺とユーモアのある作品に興味を覚えると同時に人間洞察に魅かれました。1997年に別の展覧会で熊本を訪れた際に、2度ご自宅を訪ねました。その後、何度か手紙のやり取りをさせていただきました。穏やかな表情で語り、丁寧な字で書かれた手紙をいただきましたが、内に秘めた創作への意欲の激しさに感銘を受けてきました。

東京のヒロ画廊、大阪のギャラリー新居などで米寿の2005年に開かれた「浜田知明新作彫刻展2000−2004」には、「悩ましい夜」(2000)「冷たい関係」「病院の廊下で」(いずれも2001)「かげ・見えない壁」(2002)など独自の浜田ワールドの健在振りを確認したのでした。寡作とは言われながら初めて見る作品が数多くあって「生涯芸術家」のすさまじさに驚嘆した次第です。


会場で見受けた
年配者のグループ鑑賞

今回の神奈川県立近代美術館での展示は1979年、2000年に続いて三度目です。この間の経緯について、図録の冒頭、浜田は、「我流で始めた彫刻が彫刻家として認知してもらえたようで」と、歴代館長の理解に感謝しています。


今回の展覧会の担当学芸員の橋さんは、「浜田芸術は時を経て何度も見ていただく価値があります」と強調します。そして図録に「浜田知明 その芸術の秘密」と題して次のような文章を寄せています。

驚きが芸術の命であるかのように、新作は、われわれを驚かせる。(中略)すぐれた芸術家は、往々にして時代とともに生き、その目撃者となり、日々起きる事象を肌で感じ、そのことに考えをいたすが、その現象に流されることはない。そしてその時代を感じつつ、人間社会の普遍的なものを見出していく。

没後25年「鴨居玲 終わらない旅」展


鴨居玲の
「酔って候」
(1984
石川県立美術館)

一方、「鴨居玲 終わらない旅」は、没後25年記念展でした。鴨居(1928−1985)は戦後創設された金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎に師事しています。

57歳の若さで没し、画業は40年足らずでした。「静止した刻」(1968 東京国立近代美術館蔵)が翌年の安井賞を受けて脚光を浴びるも、スペインやフランス、神戸と創作活動の拠点を移し、独特の存在感のある画風を確立していったのでした。
  
時に訪ねる石川県立美術館の常設展示室に「酔って候」などが掲げられ、強烈なインパクトを感じていました。酔っ払いや廃兵、皺だらけの老婆、そして絶望にうちひしがれたような多くの自画像などが展示され、首都圏では15年ぶりの大回顧展となっています。

浜田と鴨居は表現方法も作風も違いますが、同時代に生き、時代を鋭く観察し、作品に投影しています。とりわけ人間の内面に迫った芸術作品は、時代を超えて共感を呼ぶことでしょう。「美」を描く芸術と違って「美」の真髄を問われる思いを新たにしました。

 

しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
     世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
    広がる「共生」の輪

私たちは誰しも一人では生きていけないことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。
無常のわかる年代の、あなたへ
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アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より)
「大人の旅」心得帖
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定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
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