町の芸術「きり絵」の世界

2004年7月5日号

白鳥正夫

 「きり絵」は指先から生まれる芸術です。私はこの10年余、展覧会企画を通してピカソをはじめとする絵画から、彫刻、陶芸、版画、写真、アプリケに至るまで様々な分野の芸術と取り組んできましたが、どっこい町なかにも、こつこつ一筋、作品を創り出している人たちがいます。先月大阪市内で開かれた第27回全大阪きりえ美術展の会場をのぞいてきました。最新作約150点の力作が展示されており、その創作意欲に感心しました。この活動を支えてきた二人の指導者にスポットをあて、「きり絵」の世界を紹介しましょう。

好評の朝日新聞休刊日チラシ「大阪風物詩 きりえの世界」。
作品は加藤義明さんの「天神祭」



造形美術の新しいジャンル

 風景や人物を鋭角にとらえる「きり絵」は、造形美術の新しいジャンルとして脚光を浴び始めて四半世紀になります。1978年に同好者が集まって、日本きりえ協会を結成、その旗揚げの全国展が東京都美術館で催されました。この展示会の実行委員長を努めたのが堺市在住の加藤義明さんです。この年、大阪でも豊中市文化振興会館で第1回の全大阪きりえ美術展の開催にこぎつけています。
 加藤さんは以来、きりえの第一線の作家として活躍し、後進の指導にも情熱を注いできました。「きり絵」の草分け的な存在である加藤さんとの出会いは、突然舞い込んできました。大阪朝日販売開発が出している府内向け『朝日新聞休刊日のお知らせチラシ』の企画案を求められ、大阪を題材にしている加藤さんの「きり絵」を推薦し、採用されたことによります。
 私は加藤さんに会う前に、加藤さんの教え子の案内できりえ展を見ており、画文集『きりえで訪ねる上町台地』(きり絵工房刊)を所持していました。「きり絵」の魅力は、味気のない休刊日を知らせるチラシに格好の素材だと思えました。2002年4月からスタートした「大阪風物詩 きりえの世界」は好評で、今年6月までに23回を数えています。
 これまでに天神祭や岸和田だんじり祭り、法善寺や中之島公会堂などを取り上げています。私は監修と添え文を書いていますが、加藤さんの描くというか、対象を切り取る感性にしみじみとした情趣を感じてきました。
 1931年生まれの加藤さんは、これまでいわゆる定職に就いたことがありません。もともと絵が好きで、高校卒業後は大阪市立美術研究所に入り、水彩画などを学んできました。絵画に取り組む中、描くことの省略を重ね、たどりついたのが白と黒の明解な紙きりの世界でした。
 マッチのラベルを描くなどアルバイトのような仕事をやっていましたが、次第に雑誌の表紙などの注文が入ってきたといいます。やがて「きり絵」を愛好する人たちも増え、1980年には大阪きりえセンターが設立され、代表におさまりました。この間、全大阪きりえ展を実現し、毎年のように作品展を開いてきました。
 味覚雑誌『あま・カラ』(甘辛社発行)のカットに採用され200号を重ねたり、大阪商工会議所の機関誌『チェンバー』に連載の大阪百景を担当しました。さらに朝日カルチャーセンターの講師として長年、数多くの同好者を育ててきました。一時は各地の集まりの講師に呼ばれ、引っ張りだこになったそうです。
 作品は大阪にこだわり、街並みや祭り、文楽、民話、暮らしなど土着性にあふれています。その代表作が「大阪風景」や「上町台地」のきりえ集です。文楽を描いた作品はテレホンカードのデザインに取り入れられ親しまれました。1983年には大阪市交通局からの依頼で、地下鉄淀屋橋駅構内の「大阪のまつり」(幅12メートル、高さ4メートル四枚)をデザインしています。

四半世紀の活動を支える

 そしてもう一人の指導者が、やはり堺市在住の前田尋さんです。1949年に兵庫県に生まれ、21歳になった1970年から加藤さんに師事します。加藤さんとともに日本きりえ協会の創設に参画し、早くから加藤さんの後継者としての役割を果たしてきました。加藤さんの後、1985年から全大阪きりえ連絡会の代表を努めています。

加藤さんの作品「二上山」
前田尋さんの作品「大阪城」


 一方、きり絵画家としても毎年のように個展を重ねてきました。1985年に国際交流基金アメリカ・カナダきり絵展に出品したのをはじめ、88年と91年には南米アルゼンチンを取材旅行し、99年にブエノスアイレス日本大使館文化センターで個展を開くなど国際的にも活躍しています。この間、全国きり絵コンクール優秀賞はじめ大阪市教育委員会賞、大阪府知事賞を受けるなど名実ともに第一人者として着実に実績を挙げてきました。
 1950年代、関西を代表する老舗が「阪神甘辛のれん街」に顔をそろえ、『のれん』誌をタブロイド版で発行します。この表紙絵は加藤さんが担当していましたが、刷新を機に、前田さんがバトンを受け、半世紀も続き600号を数えました。わずか8ページの冊子ですが、食文化の継承に「きり絵」が調和したといえます。前田さんはその代表作を集め『きり絵散歩 関西歴史の道をいく五十景』(きり絵工房もず刊)を出しています。
 休刊日チラシ「大阪風物詩 きりえの世界」も三年目を迎え、前田さんが担当を引き継ぐことになりました。約80万部の発行で「きり絵の普及にも意義のある仕事です。加藤先生が体調不良でピンチヒッターとなりますが、新しい作品の発表の場にしたい」と張りきっています。
 私が前田さんとお会いしたのは、加藤さんより早く1997年9月にさかのぼります。きりえを習っていた知人に誘われた「切り絵・墨絵三人展」でした。当時40歳代で、小柄ながら自信にあふれた様子で話されていたのが印象的です。ほぼ7年ぶりに第27回全大阪きりえ美術展会場で再会したのですが、すぐに分かりました。 

「創る文化」へ身近な対象

 きりえ美術展は、全大阪きりえ連絡会(13団体加盟)のサークルの作品発表の場ですが、きりえ作家や愛好者らプロ、アマ問わず出品でき、「きり絵」の普及と発展を目指しています。27回目の今年も1100人もの入場があり、根強いファンに支えられています。後進への普及も、むしろ楽しく、面白く学んでほしいとの趣旨で、1999年から「きり絵」で楽しむグッズのコーナーも特設されています。
 この美術展の実行委員長の岡田禎二さんは、全大阪きりえ連絡会の機関紙『きろうど(切人)』99号に「第27回展への誘い」と題して次のような文章を寄せています。「年賀状をはじめ郵便物に手間暇かけ創り上げたものが、受け取る側にも温もりと喜びを与えるのです。パソコン全盛の時代こそ、きりえや版画、絵手紙が見直されるべきです」。岡田さんは「くらしの中に生きるきり絵」を強調しているのです。

第27回全大阪きりえ美術展の
会場風景
きり絵でデザインされた
様々なグッズの展示コーナー


 また同じ号で大阪きりえサークルの藤井雅子さんは「きりえを始めて15年になります。描けなかった頃のことを思い、何とか形になりだした作品を感慨深く思います。描く、下絵、構図と大切な事をつまずきながらクリアしての繰り返しでした。(中略)15年の間に100点近い作品が出来ている事も感慨深く、きりえに出会えたことが人生を楽しむ一助になったと感じます」と結んでいます。
 「きり絵」は、筆先に技巧を求める書や絵画とは異質の世界です。材料は紙とはさみでだれもが簡単に取り組めます。町なかの芸術の精神は素朴さにあります。もちろん芸術の域に高めるには相当の努力を要するでしょう。でも「受ける文化」から「創る文化」へ何かを求めようとするならば、私たちの身近な周囲にも、その対象があります。足元の指先から創作の世界は味わえるのです。


しらとり・まさお
朝日新聞社大阪企画事業部企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から、現在に至る。編著書に『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)、『鳥取砂丘』『鳥取建築ノート』(いずれも富士出版)などがある。


新刊
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたち平山郁夫画伯らの文化財保護活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者の「夢しごと」をつづったルポルタージュ。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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