深まる秋、見ごたえのある絵画展三題
2024年11月1日号
白鳥正夫
秋が深まり、紅葉も見ごろ。この時節、和歌山と京都で催されている美術のメインともいえる見ごたえのある絵画展がお勧めです。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展「仙境 南画の聖地、ここにあり」が、和歌山県立近代美術館と、田辺市立美術館および熊野古道なかへち美術館(田辺市立美術館分館)の3館で11月24日まで開催されています。一方、京都市京セラ美術館では京都市立芸術大学移転記念 特別展「巨匠たちの学び舎 日本画の名作はこうして生まれた」が12月22日まで、京都府立堂本印象美術館でも「生誕120年記念 モダニスト福田豊四郎、秋田を描く―土田麦僊に愛された日本画家」が11月24日まで、それぞれ開かれています。
和歌山3美術館の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展「仙境 南画の聖地、ここにあり」
和歌山から広がる南画の世界、3会場に約100点
南画(なんが)とは、中国絵画に影響を受けて江戸時代に成立した、主に山水や花鳥を描く絵画のこと。中国の高官が余技として、たしなんだ文人画(ぶんじんが)や、中国江南地方の温暖な風景を柔らかな筆づかいで描いた南宗画(なんしゅうが)を起源とします。
わが国では、江戸中期から人気を博したのち、明治期以降の美術界でも独自の展開をみせました。山と水に恵まれた和歌山は、中国古典に登場する「仙境(せんきょう)」と重ねられ、江戸時代から文人たちの詩や絵画の主題となってきました。そして、近代においても、数多くの南画家が和歌山各地の作品を描いており、和歌山は南画の「聖地」と言えました。
今回は、世界遺産登録20周年を記念し、和歌山県内の3会場で同時開催し、特に和歌山および京都、大阪を中心とする関西に注目して、近代日本において南画と向き合った画家による優品の数々を集め展示しています。
展示は会場ごとの3部構成です、その概要についてプレスリリースを参考に紹介しておきます。
第1部は和歌山県立近代美術館の「近代の南画、関西にあり」で、江戸期の和歌山を代表する文人画家に始まり、主に明治から戦中期までにおける、京都や大阪、や和歌山を中心とする関西の近代南画の動向を探っています。
中国から文人画や南宗画がもたらされた江戸時代、和歌山は日本の文人画の祖ともいわれる祇園南海をはじめ、桑山玉洲(ぎょくしゅう)、野呂介石ら「紀州三大文人画家」を輩出しました。
南画は明治期に全国的な広がりをみせますが、固定化したスタイルなどがしばしば批判の的となりました。しかし、その頃の関西では京都府画学校や浪華画学校のほか、日本南画協会を通じて、南画家たちが盛んに活動しました。大正期に入ると、近代西洋絵画の影響を受けて「新南画」が流行し、関西でも京都市立絵画専門学校で学んだ若手を中心に盛り上がりを見せます。
一方、伝統的な技法や精神を重んじながら、南画の革新を目指す団体として、京都で日本南画院が結成され、やがて全国にまで活動範囲を拡げていきました。ここでは、学校教育や、美術団体、展覧会といった近代的な制度とも関連しながら、南画の世界に生じたダイナミズムを、関西を代表する作家たちの優品の数々によってご紹介します。
第2部は田辺市立美術館の「近代の南画家、和歌山にあり」。近代の南画界において、和歌山は多くの画家に影響を与え、独自の文化を育みました。和歌山と深い関わりのある画家たちの多彩な作品が見られます。元武士や学者、商人などが、本業の傍ら描いた明治期の南画は、 江戸時代から続く文人的性格が認められます。
和歌山は、こうした文人たちが理想とする「聖地」として位置付けられ、多くの画家が清遊しました。 大正期頃になると、和歌山でも伝統的な南画を継承しつつ、西洋絵画などをとり入れ、独自の表現を確立した画家たちが多くあらわれ、県内だけでなく中央の画壇でも活躍しました。また、昭和期、特に戦中・戦後の混乱期には、現代における「南画」の在り方が模索され、そうした中で描かれた和歌山の風景作品には、この地に対する画家たちの深い洞察が感じられます。
第3部「南画の風景、和歌山にあり」は、熊野古道なかへち美術館で。江戸時代の文人画家の野呂介石は「山水画家は須(すべから)く南紀の山水を見よ。
南紀を見ずして山水を語るなと喝破(かっぱ)した」と、大正から昭和期に活躍した南画家の矢野橋村(きょうそん)が伝えています。江戸時代から日本の文人たちは中国の山水世界を求めて、和歌山をはじめ日本各地を旅し、現地での感興を詩や絵画に託しました。近代においても、 文人たちが遊んだ「仙境」である和歌山にあこがれ、数多くの画家がこの地を訪れています。那智の雄大な滝や、吉野に連なる熊野の山々、熊野に臨む奇勝絶景の海岸などを目の当たりにした画家たちは、思い思いにその風景を描き残しました。ここでは、南画を中心に、描かれた和歌山・熊野とそれに連なる海と山の風景を巡っています。
開幕前、和歌山県立近代美術館の内覧会に参加しましたので、第1部の主な作品の画像を掲載します。富岡鉄斎の《寿山福海図》(1899年、清荒神清澄寺 鉄斎美術館蔵)をはじめ、桑山玉洲の《雪山唫客図》(1798 年、脇村奨学会蔵[田辺市立美術館寄託])、 池田桂仙の《花卉菜蔬長巻》(1916年、伊山文庫蔵)、山田介堂の《青緑山水江山春蘭図》(1917年、福井県立美術館蔵)、矢野鉄山の《西湖雨中》(1927年、Kura Monzen Collection)、湯川三舟の《中辺路所見》(1933年、尋聲寺蔵)など名品ぞろいです。

富岡鉄斎《寿山福海図》
(1899年、清荒神清澄寺 鉄斎美術館蔵)
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桑山玉洲《雪山唫客図》
(1798 年、脇村奨学会蔵[田辺市立美術館寄託])
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池田桂仙《花卉菜蔬長巻》
(1916年、伊山文庫蔵)
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山田介堂《青緑山水江山春蘭図》
(1917年、福井県立美術館蔵)
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矢野鉄山《西湖雨中》
(1927年、Kura Monzen Collection)
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湯川三舟《中辺路所見》
(1933年、尋聲寺蔵)
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京都市京セラ美術館の京都市立芸術大学移転記念 特別展「巨匠たちの学び舎 日本画の名作はこうして生まれた」
名だたる日本画の巨匠47名の優品が集結
近代京都の画家たちが学び、日本画の将来を見据えながら、紡いできた京都市立芸術大学は2023年、キャンパスを京都駅東部へ全面移転しました。1880年に京都府画学校として開校して以来、何度も移転しながら歴史を重ねてきました。
京都市立芸術大学には、かつて竹内栖鳳、山元春挙らが教壇に立ち、土田麦僊、村上華岳、小野竹喬ら数多くの画家が学びました。今回の展覧会では、後に巨匠となり、画壇に燦然と輝いた日本画家たちの若き日の挑戦作や、教員となった画家たちが矜持をもって制作した名作を、学校の歴史とともに回顧しています。
大学の前身である京都府画学校や京都市美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で研鑽を積んだ47人の画家の作品を一堂に展示。美学生だった時代に、悩みながら制作した卒業制作や画壇デビュー時の作品など、画家の初期作と、評価を高めた充実期の代表作が並んでいます。京都の近代美術を育んだ場所「学び舎」について知る絶好の機会です。
展覧会は5章で構成されていて、前期(~11月17日、後期:11月19日~)で、一部展示替えになります。章ごとの主な作品を取り上げます。
第1章は「日本初の公立画学校! 京都府画学校の時代」で、1880年に京都の日本画を盛り上げるべく設立された近代的絵画教育施設では、様々な流派の画家が教員となりました。幸野楳嶺の《花鳥山水貼交屏風》(明治期、通期)などが展示されています。

幸野楳嶺《花鳥山水貼交屏風》部分
(明治期、通期)
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第2章は「美工・絵専で教えた画家教員」。1894年に京都市美術工芸学校(美工)と改称され、1909(同42)年に京都市立絵画専門学校(絵専)が設立。画家の育成も本格化します。教員には竹内栖鳳や山元春挙、菊池契月や木島櫻谷など画壇の重鎮画家たちが名を連ねました。ここでは竹内栖鳳の《獅子巌壁》(1904年頃、豊田市美術館蔵、前期)などが並んでいます。

竹内栖鳳《獅子巌壁》右隻
(1904年頃、豊田市美術館蔵、前期)
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第3章は「卒業生、いざ画壇へ」です。1911年、絵専で初めての卒業生となったのは土田麦僊、小野竹喬、村上華岳、入江波光、榊原紫峰ら次世代のニュースターとなる面々でした。村上華岳の《阿弥陀》(1916年、京都市美術館蔵、通期)などが出品されます。

村上華岳《阿弥陀》
(1916年、京都市美術館蔵、通期)
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第4章は「大正時代、個性際立つ画家のエネルギー」。大正期、自由主義の風潮のなか、青春を謳歌する画家たち。堂本印象、福田平八郎、中村大三郎らが登場します。不染鉄の《山海図絵(伊豆の追憶)》(1925年、公益財団法人木下美術館蔵、後期)に注目です。

不染鉄《山海図絵(伊豆の追憶)》
(1925年、公益財団法人木下美術館蔵、後期)
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最後の第5章は「戦中~戦後、日本画の可能性」で、伝統的な日本画の枠組みを再考し、新機軸の芸術を生み出そうとしたのは、勢いのある若い世代でした。下村良之介の《池畔》(1957年、京都市美術館蔵、通期)

下村良之介《池畔》
(1957年、京都市美術館蔵、通期)
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その他の主な出展作家は、菊池契月、木島櫻谷、都路華香、徳岡神泉、山口華楊らです。
京都府立堂本印象美術館の「生誕120年記念 モダニスト福田豊四郎、秋田を描く ―土田麦僊に愛された日本画家」
京都で学び、日本画の革新目指し画壇を牽引
大正末から昭和期に活躍した福田豊四郎の京都では初の回顧展です。郷里秋田の風景を詩情豊かに描く一方、官展から在野へと活動の場を移しながら日本画の革新を目指したモダニストという面も持ち、創造美術の結成に際して主導的役割を担い、戦後の日本画壇を牽引しました。
福田豊四郎(1904-1970)は、秋田県鹿角郡小坂町の生まれ。15歳で画家を志し、京都に出て洋画家・鹿子木孟郎にデッサンを学びます。日本画家・川端龍子の作品に感銘を受け、1921年から東京に移り弟子入りするも、師に勧められ一年余で再び京都へ戻り、日本画家・土田麦僊に師事します。
1924年、第4回国画創作協会展(国展)に初入選。同協会は師・麦僊らが文展の審査に不満を持って結成した革新的な団体であり、豊四郎は以後1928年(昭和3年)の同協会解散まで出品を続けました。
1925年には、前記展で取り上げている京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)へ入学し、1928年に卒業しています。同年、国画創作協会第一部(日本画部門)が解散すると、それまで国展を拠り所に出品を続けてきた若い画家たちのため、麦僊が後ろ盾となって新樹社が設立されますが、第2回展で消滅します。
豊四郎は再び東京に活動拠点を遷してからは、龍子の青龍社に所属して意欲作を発表しますが、1933年に青龍社がを脱会します。
その後、豊四郎は吉岡堅二とともに西洋絵画の手法などを取り入れた新しい感覚の日本画を追求して前衛的な活動を推し進めていきます。1948 年の創造美術(のちの創画会)旗揚げの際にはその先頭に立ち、戦後の日本画を牽引しました。
今回の展覧会では、豊四郎が生涯にわたり愛した秋田に題材を求めた作品を中心に、初期から晩年までの代表作を一堂に紹介し、モダン感覚あふれる豊四郎芸術の魅力に迫っています。
また、豊四郎の実力を高く評価した二人の師、土田麦僊と川端龍子との書簡資料などを初公開しています。書簡資料からは、二人の教えを受け、模索する豊四郎の心の動きが読み取れます。
展示構成は、第一章「京都時代(20代前半)」、第二章「戦前・戦中 モダニストへの道程(20代後半~40代前半)」、第三章「戦後から晩年 (40代後半~65歳)」、第四章「豊四郎に影響を与えた画家たちを紹介」です。
主な作品に、《雪の一日》部分(1928年、以下いずれも秋田県立近代美術館蔵)をはじめ、《早苗曇り》(1930年)、《五月山湯》(1933年)、《濤》(1938年)、《雪国》(1968年)などが出品されています。
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しらとり まさお
文化ジャーナリスト、民族藝術学会会員、関西ジャーナリズム研究会会員、朝日新聞社元企画委員
1944年、新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 |
新刊
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「シルクロードを界遺産に」と、提唱したのは故平山郁夫さんだ。シルクロードの作品を数多く遺し、ユネスコ親善大使として文化財保存活動に邁進した。
社長業を投げ捨て僧侶になった小島康誉さんは、新疆ウイグル自治区の遺跡の修復や調査支援を30年も続けている。
シベリアに抑留された体験を持つ加藤九祚さんは90歳を超えて、仏教遺跡の発掘ロマンを持続する。
玄奘の意志に導かれアフガン往還半世紀になる前田耕作さんは、悲劇のバーミヤンの再生に情熱を燃やす。 |
シルクロードの現代日本人列伝
―彼らはなぜ、文化財保護に懸けるのか?
世界文化遺産登録記念出版
発売日:2014年10月25日
定価:1,620円(税込)
発行:三五館 |
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「反戦」と「老い」と「性」を描いた新藤監督への鎮魂のオマージュ
第一章 戦争を許さず人間愛の映画魂
第二章 「太陽はのぼるか」の全文公開
第三章 生きているかぎり生きぬきたい
人生の「夢」を持ち続け、100歳の生涯を貫いた新藤監督。その「夢」に交差した著者に、50作目の新藤監督の「夢」が遺された。幻の創作ノートは、朝日新聞社時代に映画製作を企画した際に新藤監督から託された。一周忌を機に、全文を公開し、亡き監督を追悼し、その「夢」を伝える。 |
新藤兼人、未完映画の精神 幻の創作ノート
「太陽はのぼるか」
発売日:2013年5月29日
定価:1,575円(税込)
発行:三五館 |
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第一章 アートを支え伝える
第二章 多種多彩、百花繚乱の展覧会
第三章 アーティストの精神と挑戦
第四章 アーティストの精神と挑戦
第五章 味わい深い日本の作家
第六章 展覧会、新たな潮流
第七章 「美」と世界遺産を巡る旅
第八章 美術館の役割とアートの展開
新聞社の企画事業に長年かかわり、その後も文化ジャ-ナリスとして追跡する筆者が、美術館や展覧会の現況や課題、作家の精神や鑑賞のあり方、さらに世界の美術紀行まで幅広く報告する |
展覧会が10倍楽しくなる!
アート鑑賞の玉手箱
発売日:2013年4月10日
定価:2,415円(税込)
発行:梧桐書院 |
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・国家破綻危機のギリシャから
・「絆」によって蘇ったベトナム絹絵 ・平山郁夫が提唱した文化財赤十字構想
・中山恭子提言「文化のプラットホーム」
・岩城宏之が創った「おらが街のオケ」
・立松和平の遺志,知床に根づく共生の心
・別子銅山の産業遺産活かしまちづくり
「文化とは生き方や生き様そのものだ」と 説く著者が、平山郁夫、中山恭子氏らの文 化活動から、金沢の一市民によるベトナム 絹絵修復プロジェクトまで、有名無名を問 わず文化の担い手たちの現場に肉薄、その ドラマを活写。文化の現場レポートから、 3.11以降の「文化」の意味合いを考える。 |
ベトナム絹絵を蘇らせた日本人
「文化」を紡ぎ、伝える物語
発売日:2012年5月5日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館 |
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序 章 国境を超えて心の「家族」がいる
第一章 各界識者と「共生」を語る
第二章 変容する共産・社会主義
世界の「共生」
第三章 ミニコミ誌『トンボの眼』から
広がる「共生」の輪
私たちは誰しも一人では生きていけな
いことをわかっていながら、家族や地域、国家 や国際社会のことに目を向けなくなっている。「人のきずなの大切さと、未来への視点」自らの体験を通じた提言としてまとめた。これからの生き方を考える何がしかのヒントになればと願う。 |
無常のわかる年代の、あなたへ
発売日:2008年3月17日
定価:1,680円(税込)
発行:三五館 |
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アートの舞台裏へ
発売日:2007年11月1日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:アートの世界を長年、内と外から見てきた体験を織り交ぜ、その時折の話題を追った現場からの報告。これから長い老後を迎える団塊の世代への参考書に、若い世代にも鑑賞のあり方についての入門書になればと思う。 |
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アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
内容:本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信さんの序文より) |
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「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。 |
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「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。 |
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夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。 |
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夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
内容:「本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、実地踏査にもとづいて報告されている」と山折哲雄先生が序文を寄せている。 |
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◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03-3226-0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06-6257-3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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