芭蕉の足跡たどり自然農実践

2006年4月20日号

白鳥正夫


サラリーマン人生を終え、百姓になった柴田弘義・幸子夫妻(後方は自宅農家)

人生80年時代、長い老後をどう過ごせばいいのでしょう。第二の人生は人それぞれですが、長年の新聞社勤めを経て百姓になった私の先輩のことを紹介しましょう。ストレスのたまる都会生活を脱し、「自然と共に田舎暮らしを」とは、サラリーマンなら誰もが一度は考えますが、実践するとなると大変です。柴田弘義さんは、自然農を学んでいた夫人の幸子さんの指導もあって、農家生活5年目を迎えました。ただ柴田さんは単なる遊農閑居ではないのです。農閑期には芭蕉の足跡を訪ね、かつての新聞社に連載を寄稿しています。自然の中で働き、大地に足を踏ん張って考える日々なのです。

勝手通信に「農ある暮らし」

三重県上野市の田舎に田畑つきの古農家を手にいれました。周囲を低い里山に囲まれた、米作地帯で、すぐそばを木津川が流れています。山紫水明とはいきませんが、静かな農村です。空広く人影まれに山眠る

書き出しがこんな文章での『遊農人』と称して「伊賀の里から」という勝手通信をいただいたのは2002年5月のことです。柴田先輩とはほぼ15年もお会いしていませんでした。以来、継続的に届いた文章は2006年4月末で、135信を数えました。そこには「農のある暮らし」がこと細かく綴られてきます。

先輩はよく遊ぶ人でした。人一倍酒を愛し、話好きで、しばしば朝帰りをしていました。三日三晩、雀荘から会社通いをしたり、子供連れのハイキングで道に迷い、暗闇で一昼夜を明かしたこともありました。かといって仕事をないがしろにする人ではありません。新聞社で見出しを付け紙面編集をする整理部に所属していた時代には、整理記者のマニュアル本『あなたも編集者』(大阪書籍刊)をまとめています。そんな緻密さが買われ、活版からコンピュータへ新聞制作の変革期に重要な役割を担っていました。何事にも徹底する主義だったのです。

そんな先輩に転機が訪れたのは、奥さんの「田畑をつくりたい」というひと言でした。奥さんは三重県名張市にある「赤目自然農塾」に通い、米作りの実習に励んでいました。農薬の怖さを知ったからです。定年前に大阪から小倉へと出向していた柴田さんも、漫然と「渓流のある山村に住み晴耕雨読でのんびり暮らしたい」と、思い巡らしていましたから、反対する理由は何もなかったのです。

しかし柴田さんの考えは甘かったようです。幸子さんは15年も塾で学んできたとあって本格的な農業をめざしていました。自然農の精神は、「耕さない、農薬や化学肥料を用いない、草や虫を敵としない」をモットーとしていました。「赤目自然農塾」主宰の川口由一さんの教えは、単に収穫を得るだけを目的としていなかったのです。そこには人間と自然の共生の思想がありました。

いのちはその育っている舞台で、完全なるいのちを生ききります。土はその上で一生を終え、朽ちていく草によって栄養豊かになり、そこを舞台に次のいのちが芽吹きます。また朽ちていく草を食べ、その虫を小動物が食べます。そのようにしていのちはめぐります。 (川口由一さんの自然農講座から)

「遊農閑居」のはずが苦農の連続

自然農はこの生命の循環を、土を耕すことで壊してしまうのではなく、同じ生命の廻りの中でお米や野菜を得るという実践活動でした。柴田さん夫妻が決断するや、まず農家探しが始まりました。男女二人の子どもがそれぞれ結婚し独立したため、終の棲家になるはずの家です。物色するもなかなか踏み切れませんでした。折りしも京都の不動産屋から、今の家が紹介されたのです。娘たちが都会に出て、一人暮らししていたお年寄りが引き取られた後の空き家でした。


苗床と自然農の田。後方は自宅 

自然農で草の残る土地で田植えの柴田夫妻
築40年の母屋は大木をふんだんに使い、頑丈に建てられていました。土間があり、井戸やかまどもあります。五右衛門風呂まで残されていたのが気に入りました。周辺の農家に比べると、ひと回り小さかったが、団地暮らしの長かった柴田さんにとっては驚くほどの広さです。ダンボール箱などに分散保管されていた愛蔵書が本棚に並んだのが何よりうれしかったといいます。

伊賀の里に移り住んだのは2002年2月。やはり困ったのが日常の買い物でした。大型スーパーどころか小売店だって少ないのです。不便には違いないが、通信や訪問販売もあるし、毎日に必要な米と野菜は自給自足できると、気楽に考えようとしたそうです。

暮らしは一変しました。何時までに出勤とか、帰りに一杯とかいうことはなくなりました。農村生活は太陽と共にあり、農業は自然の営みにあります。ほとんどの作物は一年周期です。時季を失したら取り合ってくれません。自然農といっても段取りが肝心です。種をまくにしても畦をつくらねばなりません。

遊農の気分は初めの3カ月で吹っ飛んだのです。苦農の連続でした。手足や腰の筋肉痛に悩まされましたが、妻に見習う日々、少しずつ慣れてきました。農業はやったことの結果がすぐ分かる楽しみがあります。種を蒔く、苗を植える、といった作業は、収穫を待たなくても、その生育を見つめる喜びが実感できます。




民俗博物館にでも行かないとお目にかかれない足踏み脱穀機と手回し唐箕
米は苗代作りから田植え、草取り、稲刈り、稲架(はざ)干し、脱穀、唐箕(とうみ)、籾摺り、精米をしてやっと食べられるようになります。今はコンバインが、稲刈りから唐箕まで同時にやってくれますが、柴田さん程度の規模では、農機具を購入するのも不経済です。運よく前の住人が足踏み脱穀機や手回し唐箕など不要となった農具類を置いてくれていました。

ある日、田に出ていたら、通りがかりの人が「もう村入りが済んだか」と声をかけてきました。「はあ」との生半可な返事をしたのだそうですが、区長や近所への挨拶だけでは済まなかったようです。数日後、「組会」の案内が届きました。村の小単位が「組」でほぼ10戸、その「組」がざっと5つ集まり「小場」となり、これが日常付き合う範囲だといいます。さて村入りとは、結婚式などとおなじで村人を宴に招くことだったのです。

柴田さん夫妻は、自宅に組の人を招き「宴」を張りました。「村入りを果たして春やいま農夫」。そんな心境を句にし、名実とも村入りを果たしたのです。しかし儀式だけではなく、村の行事が次々とあり、参加しなければなりません。冠婚葬祭は当然として体育会もあります。まだ土葬が残っていて穴掘りの手伝いや、ゲートボール大会の世話などもしました。農業用水の確保などもあり、農家としてはコミュニケーションが不可欠といえました。


色とりどりの稲穂がたれる収穫の秋 
自然農では田は耕さない。排水を良くするため、溝を切る。その土を畦に盛り上げ足で踏み固めていく。これが相当の重労働になりました。そして田植え。苗を一本一本、手で植えていくのだが、しゃがみこんでの作業なので、ひざや腰が痛み、翌日には指が動かなくなったこともあります。「春耕や足腰肩手うう痛たた」。勝手通信の文面からも農作業の厳しさが伝わってきました。

2003年の35信には野菜づくりと、その味わいが綴られていました。

新しい畝には、さっそくサトイモ、ナス、トマト、オクラ、ピーマン、ダイズ、トウモロコシを植えました。妻は畝の所々に花なども植え楽しんでいます。5月半ば、畑ではイチゴがよく実をつけています。去年は鳥にやられましたが、今年は草を生やし放題にしていたため鳥も見つけられないようです。連日のように豆ご飯や、豊作のエンドウマメを茹でたり炊いたり、スープにしたり、つぶしてコロッケにして食べています。

農閑期に芭蕉の足跡を訪ね歩く

伊賀の里で一年過ごした頃から、「芭蕉と忍者のふるさと」に目を向けるゆとりが生まれ始めました。まず上野城下を訪ねてみると、町には「芭蕉」があふれかえっていました。生家が現存し、遺髪を納めた「故郷塚」があります。市内には真蹟が展示された「芭蕉翁記念館」や、上野城跡の公園には俳聖殿が建てられ、「ふるさと芭蕉の森」が整備されていました。句碑は60基以上を数えます。

芭蕉が忍者という説があります。出自が不明なことや繰り返された長旅、その資金の出所や健脚ぶりなどからだそうです。元来、凝り性の柴田さんは、芭蕉の研究を始めたのです。俳句は下手の横好きを自認していただけに、すぐになじめました。『芭蕉句集』『芭蕉文集』(いずれも岩波古典文学大系)や『松尾芭蕉集』(小学館日本文学全集)などを紐解くにつれ、文献だけではおさまらなくなったのです。農閑期を活用して、ゆかりの地を訪ね歩くことにしました。

四季折々の農作業のあれこれの間に、芭蕉研究の成果など勝手通信が多様になり、200人近くの知人に届けられるようになりました。こうして、朝日新聞社の現役幹部が芭蕉のリポートを見て、伊賀版に週1回の連載話が持ち上がったのです。柴田さんの勝手通信には芭蕉について10回分は書き込んでいました。さらに40歳代に『奥の細道』の主だった所に行っていたこともあり連載を引き受けました。2004年は芭蕉生誕360年の節目にあたり、「芭蕉さんを訪ねて」とのタイトルの連載は2月からスタートしました。

いざ新聞に載せるとなると、私的な勝手通信のようなわけにはいきません。俳聖生誕の地だけに、俳人や研究者がいれば、芭蕉翁顕彰会もあります。うかつなことを書こうものなら馬鹿にされることになります。あらためて江戸・日本橋から深川、東海道、伊勢、吉野などへと旅をする羽目になりました。2004年6月、田植えを終えるや中仙道と美濃路を歩く。番場宿から醒ヶ原、垂井、赤坂宿まで約10里40キロは江戸時代なら一日だが、車社会で交通量の多い現在では4日間もかかる始末でした。




豊作に得意満面の弘義さんと幸子さん夫妻 

柴田さんの稲田は、「トヨサト」や「ヒノヒカリ」をはじめ、赤米があれば黒米、緑米、香米、さらには濃紫の「天橋立篭(この)神社の御神米」や真っ白な穂の「種子島宝満神社の御神米」など10種も植えています。付近の農家の「コシヒカリ」一色に比べ、まるでモザイク模様です。手植えでなければできない光景に驚いた新聞社から取材されたほどです。

さらに2005年10月、自然農による米作りをめざす「妙なる畑の会 全国実践者の集い」が、幸子さんが学んだ「赤目自然農塾」の当番で開かれ、その見学会が柴田さんの家と田畑を取り上げたのでした。全国から申し込みの150人がバス2台に分乗してやってきました。幸いに稲の成長のいい田はともかく、畑への備えに幸子さんはてんてこ舞いでした。

「芭蕉さんを訪ねて」の連載は43回を重ね、2005年4月にいったん終えました。しかしまたしても「芭蕉さんを訪ねて」の続編を引き受けてしまったのです。今度の連載は「伊賀の国所どころ」です。2004年秋、上野市と伊賀町など一市三町二村が合併して伊賀市となりました。古代には新たな伊賀市と名張市を合わせ「伊賀国」として輝いていました。平成の線引きに合わせ、かつての「伊賀国」を歩くことにしたといいます。連載は2006年も続きます。

「晴耕雨読」のはずの日々が「晴耕雨書」となった柴田さんは新聞記者だった頃のあの情熱を失っていなかったのです。


しらとり・まさお
ジャーナリスト、朝日新聞社前企画委員。1944年、愛媛県新居浜市生まれ。中央大学法学部卒業後、日刊工業新聞社編集局を経て、1970年に朝日新聞社編集局に入社。広島、和歌山両支局で記者をした後、大阪本社整理部員。1989年に鳥取支局長、1991年に金沢支局長、1993年に大阪企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を務める。編著書に、『アートへの招待状』(梧桐書院) 『大人の旅」心得帖』 『「文化」は生きる「力」だ』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』『日本海の夕陽』(いずれも東方出版)、図録『山本容子の美術遊園地』『西遊記のシルクロード 三蔵法師の道』『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(いずれも朝日新聞社)などがある。

新刊
第一章 いま問われる、真の豊かさ
第二章 「文化」のある風景と、未来への試み
第三章 夢実現のための「第二の人生」へ
第四章 「文化」は人が育み、人に宿る

本書には、日本列島の各地でくり広げられている地道な地域再興の物語が、きめ細かい実地踏査にもとづいていくつも報告されている。それらはどれをとっても、さまざまな可能性を含む魅力ある「文化のある風景」である。
(宗教学者。山折哲雄さんの序文より)
夢追いびとのための不安と決断
発売日:2006年4月24日
定価:1,400円+税
発行:三五館
新刊
第一章 展覧会とその舞台裏から
第二章 美術館に行ってみよう
第三章 アーティストの心意気と支える人たち
第四章 世界の美術館と世界遺産を訪ねて
 本書を通じて白鳥さんが強調するのは「美術を主体的に受け止める」という、鑑賞者の役割の重要性である。なぜなら「どんな対象に興味を感じ、豊かな時を過ごすかは、見る者自身の心の問題だ」からである。
(木村重信・兵庫県立美術館長の序文より)
アートへの招待状
発売日:2005年12月20日
定価:1,800円(税込)
発行:梧桐書院
「大人の旅」心得帖
発売日:2004年12月1日
定価:本体1,300円+税
発行:三五館
内容:「智が満ち、歓びの原動力となるそんな旅を考えませんか。」
高齢化社会のいま、生涯をかけてそれぞれの「旅」を探してほしい。世界各地の体験談に、中西進先生が序文を寄せている。
「文化」は生きる「力」だ!
発売日:2003年11月19日
定価:本体1400円+税
発行:三五館
内容:50歳を前にして企画マンを命じられた新聞人が、10年間で体感し発見した、本当の「文化」のかたちを探る。平山郁夫画伯らの文化財保存活動など幅広い「文化」のテーマを綴る。
夢をつむぐ人々
発売日:2002年7月5日
定価:本体1,500円+税
発行:東方出版
内容:新藤兼人、中野美代子、平山郁夫など、筆者が仕事を通じて出会った「よき人」たちの生き方、エピソードから、ともにつむいだ夢を振り返るエッセイ集。
夢しごと 三蔵法師を伝えて
発売日:2000年12月21日
定価:本体1,800円+税
発行:東方出版
内容:玄奘三蔵の心を21世紀へ伝えたいという一心で企画した展覧会。構想から閉幕に至るまで、筆者が取り組んだ「夢しごと」のルポルタージュ。

◆本の購入に関するお問い合わせ先
三五館(03−3226−0035) http://www.sangokan.com/
東方出版(06−6257−3921)http://www.tohoshuppan.co.jp/
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