北朝鮮の核実験報道のさ中、戦争や核実験と、その記憶をテーマにした現代美術展「中ハシ克シゲ展 ZEROs―連鎖する記憶―」(朝日新聞社など主催)が11月12日まで大津市の滋賀県立近代美術館で開催中です。戦後世代が増え、戦争を実体験しない若い首相が登場しましたが、21世紀に入ってもアフガニスタンやイラクで戦争があり、北朝鮮のミサイルや核が、平和ニッポンに暗い影を投げかけています。展覧会は来年4月28日から5月27日まで鳥取県立博物館でも開かれます。戦争は記憶の世界ではなく、現実の深刻な問題として想起するためにも、おすすめの展覧会です。
会場に横たわる実物大の零戦
中ハシ克シゲさんの作品について、何らかの情報を知っていないと、第一展示室に入るなり驚きます。まず「ZERO
Project(ゼロ・プロジェクト)」のコーナーには、打ちひしがれた零戦が横たわっています。戦争の虚しさを象徴するような無残な姿です。主翼の日の丸が印象的です。
展覧会のチラシ |
入り口で手渡されたセルフガイドなる説明書を読むと、再び驚かされます。展示作品は零戦のプラモデルを2万5000枚も接写して撮影し、それらの写真をつなぎ貼り合わされて実物大に作られているのです。その零戦のモデルは、第二次世界大戦中のオーストラリアで被弾し不時着したものです。日本軍は北部の街ダーウィンに延べ64回も空爆したといいます。
作品は2000年に、ダーウィンの航空博物館の残骸前でアシスタントらによって、2002年には今度は当時日本人捕虜収容所があったカウラでボランティアによってそれぞれ制作され、いずれも展覧会終了後に焼却されました。今回の展示品は、同じネガから日本のボランティアの手で再現されたものでした。
第二展示室には、終戦の前日に出撃し、琵琶湖上空で消息を絶った悲運の零戦を取り上げています。この零戦も2003年に京都芸術センターでボランティアが制作し、パイロットが消息を絶った同じ日に琵琶湖を臨む成安造形大学のグラウンドで焼却されました。ところが折からの雨で燃え残った主翼や、墜落した機体から作られたジェラルミンの米びつも展示されています。
写真を貼り合わせ実物大に制作された零戦 |
第三展示室では、もう一つのプロジェクト「On the Day Project(オン・ザ・デイ・プロジェクト)」を展開しています。これは戦争などの歴史的な事件が起きた同じ日に、日の出から日没まで現場を接写した約5000枚の写真を貼りあわせ、巨大なフォト・レリーフをつくりあげた作品です。
特に注目したのは、戦後の冷戦時代にアメリカがマーシャル諸島で行った水爆実験をテーマに取り上げていることです。第五福竜丸が被曝したビキニ環礁のことは記憶にありますが、1948年から10年間に43回も核実験を繰り返したエニウェトク環礁のことはあまり知られていません。ここには汚染物質をコンクリートで封印した「ルニット・ドーム」があります。
第五福竜丸の被曝から50年目の当日、中ハシさんはドームの上で、日の出から日没までシャッターを切り続けたのでした。出来上がった作品は、何の変哲もないコンクリートしか写っていませんが、そこで行われた人間の行為を呼び起こすから重い意味を持つのです。
彫刻からインスタレーション
零戦について説明する中ハシさん |
中ハシさんは1955年に香川県生まれ、滋賀県在住の現代美術作家です。展覧会開幕の2日目にアーティスト・トークがあり、スライドをまじえながらゼロ・プロジェクトにたどりついた作家の歩みをうかがうことができました。
東京造形大学へ進み、彫刻家の佐藤忠良氏に師事します。上野公園に立つ西郷隆盛像を造った高村光雲を尊敬し、その息子の高村光太郎の「手」に魅かれ、彫刻作品を手がけます。最初はブロンズ作品を造っていましたが、街中にある彫刻が日本の風土に溶け合ってないと気づき、次第に迷うようになったと言います。
初期作品に、粗末な小屋の前で首をうなだれる犬の肖像「Dog・Nights」があります。その他、巨漢力士の小錦を実物大で造った「サリー」はその肉塊をばらばらにして展示する作品、さらには昭和天皇の像ではなく「昭和天皇像の像」という作品などを発表しています。
オン・ザ・デイ・プロジェクトの展示会場(野口昇明さん撮影) |
とりわけ人の手が加わった自然に関心を抱き、刈り込んだ松や鑑賞用のコイも主題としてきたのです。人工的に肥満化した力士像や、敗戦を機に神から人になった昭和天皇を取り上げたのも「人工化された自然の最たるものは人間」との中ハシさんの主張が反映したのでしょう。
これまで「日本」をテーマに独自の彫刻表現を試みていますが、それぞれの作品の表層だけではなく、そこに物語性を求めているのです。次第に量塊性をもつ彫刻から線と面で作る表現世界から脱却したのではと思えます。
中ハシさんといえば、2000年に西宮市大谷記念美術館で「中ハシ克シゲ展―あなたの時代」が開かれています。この展覧会は鑑賞していませんが、この度、カタログを入手しました。B4判二つ折り、広げると約38×54センチにもなります。わずか20ページに過ぎないのですが、いかにスケールの大きい作品を制作してきたかが一目瞭然で分かります。
ボランティアらが共同制作する特攻機「OHKA-43b」 |
ここでも零戦が登場していますが、「2月19日」との作品は、アメリカ軍が硫黄島へ上陸した日に、沖縄の八重山のふもとでヒカンザクラの散り敷き詰めた地面を日の出から日没まで撮影した約5000枚の写真を貼り合わせています。この作品は今回の展覧会にも展示されていますが、最初期のもので、展示後に燃やしたり、切り分けられたりしなかったためオリジナルが残った珍しい例とのことです。
また「9月2日」は、1945年に戦艦ミズーリ号で日本が降伏文書に調印した日です。ダグラス・マッカ−サーが総司令部を置いた現存する建物をやはり一日かけて7200枚で撮影し貼り合わせた作品です。
さらに表題の「あなたの時代」との作品は、一見、半透明のシリコンの茎の上に巨大な菊の花が咲いている形状で、それなりにかなりインパクトがあります。その菊が厳かな蓮の仏教世界、あるいは原爆のキノコ雲にも見え不思議な感じがします。しかし茎の根元に金の靴が置いてあり、茎の中に誰かがいることが想像できます。かつては神であった一人の人物をかたどった、等身大の彫像が隠されているのです。「日本」をテーマにした作家の意図が色濃く反映された作品です。
「あなたの時代」(福永一夫さん撮影) |
このカタログの中で、美術評論家の中村敬治さんは「このように中ハシはいつも彫刻にその責務を超えた要求をし、あえて自虐的ともいえる困難な方向を選び続けてきた。だが、そのような彼にとって、近年のインスタレーションの方法は好都合であったのではないか」と言及しています。
さらに中村さんは「その結果元の物体の表面だけが再現されるのだが、そこで見えてくるのはその物体であるよりは、撮影し、貼り合わせてインストールしてゆくプロセス、あるいは時間である」と分析しています。
制作プロセスや対話に力点
再び滋賀県立近代美術館に話を戻します。この美術館は朝日新聞社時代に、様々な情景の中に自らの姿を登場させる写真作品を発表し続ける「シンディ・シャーマン展」や、20世紀の美術が「時間」をどのように問題としたのかを問う「時間/美術」展に関わってきた思い出もあります。久しぶりに訪ねた美術館は、継続して現代美術を通じ、時代のテーマを追求し提起する姿勢を貫いており、共感しました。
話題のプロジェクトを手がける中ハシさん |
会場の第四展示室では、会期中に大津市の比叡山頂にあった基地から出撃が予定されていた特攻機「OHKA-43b」をモチーフにした作品をボランティアと共同制作しています。鳥取県立博物館でも「SUISEI-43」という、それぞれの地域に関係のあるゼロ・プロジェクトの新作を公開して共同制作します。
タイトルの「ZEROs」は西暦2000年代を表すということで、一連のゼロ・プロジェクトは、第二次大戦体験者の高齢化を考慮して、2009年までで完結する予定だそうです。中ハシさんは、「プロジェクト作品には参加者それぞれの記憶が重なり合い、一つの作品体験へと結集していくのです。世代や立場を越えてともに語り、考える機会となれば幸いです」と語っています。
ゼロ・プロジェクトの新作は、いずれも焼却されます。作家によると「ゼロから制作し、燃えてゼロになる過程が作品ともいえます。消滅することで、より強く記憶に焼き付けられる」とのことです。物質としての作品よりも、その過程で生まれる体話と交流こそが、むしろ作品の本質だということかもしれません。
中ハシさんのギャラリートークに耳を傾ける参加者 |
会期中には、桜花四三乙型搭乗員と「幻の特攻基地・比叡山頂の極秘計画」の紙面を製作した比叡山高等学校新聞部OBらの対談や、中ハシさんと美術評論家の椹木野衣さんの対談も組まれました。さらに11月5日には、共同制作した「OHKA-43b」を比叡山高校グラウンドで焼却することにしており、参加希望者は申込制になっています。問い合わせ先は、滋賀県立近代美術館(077−543−2111)です。
今回の展覧会では8点のプロジェクト作品と、映像で構成されています。「戦争」という重いテーマを、人類が忘れてはならない記憶として提起しています。多くの作品を見るのと違って、実に多くのことを感じ、考えさせられる展覧会です。
最後に、私の手元にある『美術フォーラム21』(2000年、2号)に京都大学文学研究科教授の吉岡洋さんが、中ハシさんの作品論で次のような文章を寄せていますので紹介しておきます。
「存在の耐えがたい恥ずかしさ」とでもいうべきこうした心性は、日本的な美の基準と不可分に絡み合っている。日本の「日本性」を、あわてて拒絶したり逆に美化したりするのではなく、まずよく見てみなければならない。中ハシ克シゲが視覚化しようとしているのは、そうした主題ではないかと思えるのである。