2002年の募集に対して応募してもらった思い出を集めました!!

ダルマ夕日

高知県宿毛市  松田 雄三

 夕陽の思い出といえば、20年も前のことになる。病弱な妻が「夕陽が見たい……」と言うので、ダルマ夕日を見に宿毛湾へ行った時のことだ。
 夕暮れの西空は美しい茜色、コバルトブルーの海も赤く燃えていた。魅せられている2人の周りを風が舞い、悪戯に髪を弄び、ススキを踊るように波だたせていた。夕陽が水平線に沈む時、夕陽と海が接吻しているみたいになる。沈む夕陽と海面に映る夕陽がダルマさんに似ているので、ダルマ夕日と名付けられたと思う。放射冷却現象といって寒い晴れた日に現れる。
 その日もダルマ夕日が見え、夕陽を背にした妻が「ダルマさんになったよ!」と振り返りながら言った。……夕映えの中の妻の姿は幻想的だった。
 その翌年、妻は逝った。
 それから数年後、娘と夕陽を見に行った。「もうすぐダルマさんになるよ」と声をかける娘を見て、私は因縁を感じた。夕映えの中に、あの時の妻と同じ姿あったのだ。

「経ケ峰」の夕陽

三重県伊賀町  片岡 三郎

 戦時中、少年時代の6年間を津で過ごした私にとって、「経ヶ峰」に沈む夕陽と伊勢湾の朝日は今も心に残る情景です。特に寄宿舎の2階から「経ヶ峰」に沈みゆく真っ赤な夕陽を眺めながら、その彼方(かなた)の故郷伊賀におわす母を想い、人知れず涙ぐんだことも幾度かあったことを思いだします。
 その頃の私は多感な少年期とはいえ、同い年の友に比べて幼く、恋人など思いもよらず、ただひたすらに勉強に明け暮れる毎日でした。勉強に疲れ、夕餉前のひととき2階に上がり「経ヶ峰」の夕陽を眺めるのを日課で、「今ごろ、母さんは野良仕事を終えた頃かな……、いや夕餉の支度かな、それとも家内揃って晩飯かなあ……」そんな想いを巡らせては涙ぐんだりしていました。
 その母も今はなく、親孝行は勿論、こんな想い出話をする術もなく、せめて墓前で独り言をつぶやくのが関の山です。
 「経ヶ峰」の夕陽は今でも心に残る光景です。

まっかな夕陽

高知県宿毛市  栗原 一郎

まっかな  きれいな
夕陽は
どこかの国の
きれいな  まっかな
朝日です。

あの日と同じ夕陽……

高知県宿毛市  小海 苗實

平成11年11月×日、私たち7人の同級生は、国民宿舎「椰子」の二階から周囲の山並と雲を茜に染めて今にも宿毛湾に沈もうとしている巨大な夕陽に息を潜めて見入っていた。「あの日と同じ夕陽……」と誰かが言った。中学校を卒業してから47年ぶりの同窓会の日であった。
 昭和26年11月のその日も私たち同級生は、底冷えのしだした丘の上の段々畑から大きな満足感と共に沈み行く夕陽を見詰めていた。戦後間もなく小さな漁村に出来た新制中学校のこと、全員が揃って修学旅行に行けるほど家庭は豊かではなかった。だから私たちは「みんなで修学旅行へ行こう」と励まし合って、2年生の時から休みを利用しては一緒に続けてきたアルバイトの木炭運びや芋掘り芋運びがやっと終った日であった。
 「よし乾杯! 」……誰かの弾んだ声を背に、私は、沈み行く夕陽の中に、すでに亡き4人の友のあの日のまゝに輝く顔を見ていた。

夕陽見ぬ間

兵庫県三原郡南浜町  長尾 嘉昭

 “福寺より延光までが遠すぎて 夕陽見ぬ間の無念早立ち”
 早朝、4時40分、自宅を出発し、徳島道高知道を乗り継いで、7時に南国市の29番国分寺に到着。納経を済ませて西下、30番および38番の金剛福寺に到着したのが午後3時。どうしても今日中に39番まで済ませたかったので、スピード違反をしないか、と心配しつつ、延光寺に着いたのが4時40分。ぎりぎりの納経を済ませて、金剛福寺より予約を入れた国民宿舎「椰子」には5時30分に到着した。
 夕陽で有名な国民宿舎だけに、それを眺望できなかったのはひじょうに残念無念の一言につきる。3度目の八十八ヶ所参りには、ぜひもう一度宿泊し、夕陽を見たいものだ。

夕日ヶ浦の夕陽

京都府竹野郡網野町  友杉 よし恵

 私は26歳の時、網野から町内である丹後木津に嫁いだ。町立保育所に勤めていた。最初はバスや汽車、そしてバイク、自動車と34年余の間には交通手段も変わった。春は桜や若葉を見ながら、夏は強い日差しを受け、秋は紅葉、冬は雪の峠を越して通勤した。
 夏は汗びっしょりになり『早く帰宅してシャワーを! 』と心急ぐ時、国道178号線を下り出すと、浜詰夕日ヶ浦の夕陽が見えてくる。暑かった一日と疲れを忘れさせてくれるような美しい夕陽である。秋はまた青空に黄色のいちょうが映え、美しい夕陽が沈んでいくのが見えた。美しい自然とこんな環境に住める幸福に満足する。帰宅するとまた忙しい日課が間っていることも忘れ、勇気と力を与えてくれた。
 今は退職し、お蔭様で今迄で一番ゆとりのある時間を過させてもらっているが、あの時の夕陽の美しさと忙しかった日常は、今も目に焼き付いているし、頭に残っている。

暮れゆかんとする青春とダルマ夕日

高知県宿毛市  竹松 コウキ

 青年教師であった私は、土佐西端の美しいリアス式海岸沿いの、凸凹多いジャリ道を、自転車で10キロばかりの菅原道真公ゆかりの小筑紫分校まで通勤していた。
 道中、ふと西方の海に沈む夕陽を眺めて、しばしの間、たたずむことがあった。1年に何度も見えないその夕陽は、紅色に霜やけした晩秋の大きな柿の実のようで、朱塗で半球形のお盆の上に祀られるようにして、静かに深い海の中へ沈み込んでいった。当時、私がペダルを踏みながら口ずさんでいた『慕南歌』の歌詞「暮れゆかんとする青春の……」と重ね合わせながら、沈みきるまで見つめ続けていた。
 今にして思えば、あの私の見た夕陽が「ダルマ夕日」として、世間の人に広く知られるようになったのですね。
 私の養父は、「沈む夕陽」にこそ感謝の心をこめて「合掌」するよう、教えてくれた。

夕陽の思い出

高知県宿毛市  大塚 美恵

 あれは、今から20数年前のことです。高校3年生の秋に、皆が進学や就職でバラバラになるので、最後に仲の良い友達同士で遊びに行こうということになり、学校がすんでから自転車で近くの咸陽島へ行きました。いろいろな話をしました。「絶対、手紙を書くからね」とか、「一年に一度は必ず会おう」とか……、そのうち涙が出てきてぐちゃぐちゃの顔になりながらも、一生懸命話をしました。その中には、私が密かに思いを寄せている人もいましたが、結局、勇気がなく、告白することはできませんでした。淡い淡い……思い出です。
 その時、海の向こうはみごとな夕陽! 友の顔は皆赤く染まり、きれいでした。その夕陽を、私は一生忘れることができません。さわやかな青春の一ページです。
    『夕陽見て明日の元気がわいてくる』
    『悩む時、夕陽に背中をおされたい』

だるま夕日の写真

高知県宿毛市  伊与田 比奈

 私の手元に一枚のだるま夕陽の写真がある。5年前夫が亡くなる前日にKさんからいただいたものだ。それまで夕陽などあまり興味がなかったが、独りになって何をする気もなくぼんやりこの写真を眺めていた。深い赤で海を染めた荘厳なまでに美しい景色に心癒される思いがして、それから憑かれたように亡夫の愛機をもって湯夕陽を撮りに、毎日晩秋の河口へ通った。
 川面の水鳥が、雲が、日ごとに表情を変えて待っていてくれた。ファインダーの中で、大きな真紅の太陽は心臓の鼓動のように刻々と、そしてゆっくりと闇の中に消えて、名残を惜しむ夕焼けが空一面を覆う。こんなに感動的に装う夕陽は、人の臨終にも似て、静かな美しさに満ちている。
 この「赤と黒」の自然の芸術にすっかり虜になってしまった。この時から、夕陽は、私にとって特別な景色となったのである。

夕陽が背中をおしてくる

岡山県総社市  大賀 江里

 夕陽はあなたの全てをものがたっている。
 夕陽はあなたの全てを知っている。
 それはなぜか? って……
 夕陽っていうのは、一日一回は海の底へと沈んでいく。
 あなたの悲しみ、苦しみを夕陽が全て背負い込み、
 また次の日、元気に生まれ変わってこようと、夕陽は海の底へしずんでいく。
 どれだけきれいな光を放とうと、海の底へとしずんでいく。
 しずまなければ、次の日、皆にいい顔が出来ないから仕方ない。
 その夕陽のしずまなければならない悲しみを知っているあなたは、
 きっと夕陽の良き理解者。
 私もその理解者の一人に入れてもらえますか?
 どうぞ、私もその良き理解者の一人に……

夕陽とは

岡山県総社市  大賀 江里

 夕陽とは全ての人間の心を落ち着かせる不思議な力がある。それを全ての人間が知っているわけではない。それなのに人間は知らず知らずのうちに夕陽の美しい海へと……。それはなぜかって? それは、海が人を虜にする力をもっていて、海が人間を好きだから、人間が知らない間に呼び寄せている。
 海!! 夕陽ってすごい!! すばらしい!! 人間には、そんな力がないからついつい海、夕陽に魅かれるのだろう。人間は自分にないものを求めて生きる生き物だから。
 私もいつかは夕陽のような人間になりたい。人を引きつけ、自分の虜にさせられるような力のある人間に。必ず海のようにでっかい人間に。必ず……。

地平線の夕陽

愛媛県温泉郡中島町  高橋 初美

 周囲を茜色に染めて刻々と沈んで行く夕陽の美しさ、でも不思議と何処からともなく流れてくる雲に遮られ、沈み終るまで完全な美しい夕陽にはなかなか巡り合えないものである。
 今から37年も前のことである。私は43歳で娘を出産した。高齢初産であったが、娘は医師も看護士も驚くほど安産で産道を7時間でくぐり抜けた。離島に住む私ども夫婦は、船に乗って我が家に帰らねばならなかった。帰る日、夫は娘を毀れ物のように抱き船に乗り込んだ。
 船が港を離れごご島を通り抜けると、地平線が現れる。その時、夕陽が地平線すれすれに沈むところであった。空も海も真赤に染め、私達夫婦は固唾をのんで吾が子と夕陽を見守った。
 まだ目も見えなかった娘、でも夕陽とは何か縁があるらしい。宿毛でだるま夕日が見えるという話をもち帰った。大きくなった娘と今度は珍しい不思議なだるま夕日を見に行こうと思っている。今は亡い夫にも帰ったらだるま夕日を報告したいものである。

瀬戸の夕陽

大阪府豊中市  山本 由美子

 その日、私と母は墓参を終えて宿に落ち着いた。開通したばかりの瀬戸大橋を渡りたいというので帰路に選び、宿からは瀬戸大橋が眼下に眺められた。橋のイルミネーションも着き始め、穏やかな瀬戸の海は旅情をたたえて、私と母を歓迎してくれていた。
 夕食の会場に上がった時、私と母は歓声を上げた。海と空を真赤に染めて沈み行く夕陽が目の前にあったのだ。私達は紛れもなく宇宙の子であると教えてくれる神秘と美しさ。目の前の御馳走も、瀬戸大橋の明かりも、夕陽からの視線を逸らせることはできなかった。欠けていく夕陽に、時の刻みを感じ入り、地球の自転を体感する。最後の片鱗が消え入った時、思わず「ああ」と声を漏らした。
 気がつくと周囲から一斉に歓声と溜め息がどよめいていた。そう、みんな夕陽を見つめていたのだ。みんな夕陽が好きなのだ。夕陽の前でみんな無邪気な子どもだった。妙に感動した旅の宿。夕陽は私達を小さなにわか哲学者にしてくれる。

奈良の夕陽

大阪府東大阪市  山本 恵子

 母と二人で奈良公園に行った。一時間くらいで行けるところなので、よく来た場所である。思い出話をしたり、鹿にせんべいをやったりしてゆっくり一日を過した。
 宿泊は三笠山から少し上がったところの温泉郷の「平城」という旅館に入った。もう陽が傾きはじめていた。玄関を入るとロビーに大きなガラスの丸窓があり、東大寺大仏殿の屋根の上に、今夕陽が沈んでゆくところであった。
 真っ赤な夕陽の残照が丸窓に映えて私たち母子の顔も赤く染まった。思いがけない風景に魅せられて陽が沈むまで眺めていた。
 今はもう亡き母と過した懐かしい一こまである。

忘れえぬ夕陽の歌

兵庫県揖保郡揖保川町  武田 茂

   わだかまる思い抱きつつ山ゆけば
            芽吹く若葉が夕陽に赤し
 私の高校三年生当時の短歌である。この歌は故郷龍野の野見宿禰塚の辺りに沈もうとしている夕陽に多感な気持を込めてつくった歌だが、進学雑誌「高校コース」の短歌欄(選者: 宮柊二)に投稿したところ、第一席に選ばれた私にとって忘れえぬ歌でもある。
 その日から半世紀近い歳月が流れたが、今日まで文学や歴史に興味を持ち続けものを書いてこられたのも、短歌をつくるもとになった美しい夕陽のお陰と感謝している。
 最近は写真に凝り、海に沈む夕陽を追いかけている。御津町新舞子や赤穂御崎へ何度となく足を運んだが、満足のいく写真は撮れない。だが、いつかは赤穂市役所や銀波荘で展示された夕陽の素晴らしい写真に負けない傑作をものにしたいと思っている。
 このように夕陽は私にとって生涯のテーマとなった存在でもある。

終戦の夕陽

京都府竹野郡網野町  毛呂 嘉一

 戦後は最早遠くなりましたが、未だに私の脳裡より離れない光景があります。
 私が終戦を迎えたのはエトロフ島、ロシア軍の捕虜となり飛行場に集結、そこから船でシベリアに向う時でした。時刻は丁度夕暮れで、船上からは太平洋の彼方の沖合に、今まさに沈まんとする真っ赤な大きな夕陽が見えました。その時の光景は、今でもはっきり憶えています。日本海・太平洋ともに水平線の彼方に沈む夕陽は圧巻で、その美しさは他に類をみません。
 私は若い頃、浅茂川の浜辺で夕陽を見ながら、友達とよく遊んだものです。

夕陽の短歌・俳句・川柳

高知県宿毛市  東 泰照
○ 年惜しむ ダルマ夕日を撮るために レンズのぞけば 時を忘れる

高知県宿毛市  高倉 翠風(すいふう)
○ 石蕗(ツワブキ)を 黄金に染めて 海落暉
○ 茜雲 すすきの穂先 無限なる
兵庫県姫路市  藤井 喜久雄
○ 業終えて 疲れを露天風呂 笑顔で拝む 御崎の夕陽
○ 凪ぎの浜 家路を急ぐ 機関船 夕陽に祈る 明日の運
兵庫県揖保郡太子町  加藤 みち子
○ 赤とんぼ 燃ゆる夕陽に あかね色
○ 秋風に 波間キラキラ 夕陽染む
愛媛県周桑郡小松町  高橋 和
○ 伊予灘の 沈む夕陽を眺めては プラットホームでコンサート聴く
○ 伊予灘の 沈む夕陽を眺めては 君と出会ったあの日を思う
○ 瀬戸内の 秋の夕陽に 鳥一羽
○ 来島の 沈む夕陽に 渡り鳥
○ ハネムーン 夕日ヶ浦で 夕陽見る
○ フルムーン 夕映えの宿 野天風呂
○ 伊予灘の ダルマ夕日に カメラマン
大阪府東大阪市   文谷 としこ
○木の橋で ノスタルジィーな 夕陽みる

もどる